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ブランディングにおけるデザインとPRの関わり方 ─フィギュアスケート用ブレード「KOZUKA BLADES」のブランド開発事例 ≪前編≫

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ビジネスとデザインの関わりを学ぶトークイベント「“besign”talk meeting(ビザイントークミーティング)」。2018年10月30日に開催された第4回は、株式会社響組代表/PRプランナーの大島理香氏と、サブゲストとして株式会社FROM DESIGN 代表/デザイナーの伏見貴志氏にお越しいただきました。お二人がタッグを組んで取り組まれたのは、フィギュアスケート用ブレード「KOZUKA BLADES」のブランド開発です。元フィギュアスケート選手である小塚崇彦さんが愛知県の企業と共同で開発したもので、その開発期間は6年余。スケート業界に一石を投じることとなった小塚さんが感じていた課題とは。そして、スケートへの深い想いと情熱を受け取ったPRとデザイナーが、どのようにしてブランドを形作り、その想いを届けていったのか。株式会社それからデザイン代表の佐野が聞き手をつとめ、PRとブランディングの理想的な関わり方について探求しました。


スケート業界が抱える知られざる苦悩と課題

佐野
PRプランナーとデザイナーがタッグを組んで推進するブランディングの在り方は、これからもっと注目されていくのではないかと僕は思っています。大島さん、伏見さんが取り組まれた「KOZUKA BLADES」はまさにその形で生まれたブランドだと伺っています。まず、どのようにプロジェクトがスタートしたのでしょうか?
大島
実は、小塚崇彦は私の義理の弟にあたるのですが、一昨年に現役を引退して、フィギュアスケートの普及活動に取り組みたいという話から、「マネージャーをやってもらえないか」という相談を受けたのがきっかけです。小塚はフィギュアスケーター一家のサラブレッドとして育ち、5歳でスケートを始めました。小さいころから活躍を続け、2010年には、バンクーバーオリンピックに出場して8位入賞しています。世界大会でも何度も表彰台に上がっていて、全日本選手権にも12回連続出場したフィギュアスケーターです。同世代には高橋大輔さんや織田信成さんがいて、男子のフィギュアスケートが一気に注目を集めていった世代ですね。
佐野
はい、よく知っています。
大島
そんな彼は現役時代、“自分に合うスケート靴がない”という大きな悩みを抱えていたんです。彼だけでなく、実はフィギュアスケーター全員が同様に悩んでいます。なぜかというと、スケート靴は一つ一つ手作業で作られているので、品質に大きなバラつきがあります。スケート靴は、足を入れる部分の「靴」と氷と接地する刃の部分の「ブレード」で構成されていますが、ブレードをビスで固定する作業も手作業なので、毎回出来上がりが異なります。靴を買い換える度に、“自分の体を靴に合わせに行かなければならない”という不条理がありました。
佐野
なぜそういうことが起こるのでしょうか。たとえば陸上競技などは、大手メーカーがしのぎを削って、シューズの機能開発を発展させているイメージがありますが。
大島
背景には様々な理由がありますが、スケート靴は、一般流通するほどの需要がないことなども関係していると思います。なので、陸上競技ほどの製造技術の発展が起こりにくいこともあります。
佐野
そんな課題があるとは知りませんでした。それでもフィギュアスケートの選手は次々と4回転ジャンプを成功させているイメージがありますし、アスリートとしての技術はどんどん進んでいるようにも見受けられます。スケート選手にとって、靴は当然重要ですよね。
大島
そうなんです。スケーターにとって靴は体の一部と同じくらい大切なのですが、同じメーカーの同じサイズのものを5足ぐらい並べて全部履いてみても、それでも合わないことがあると選手たちは言っています。それくらい選手たちは足の感覚を大切にしていますが、何度もジャンプを跳ぶと靴には当然負荷がかかり、試合の直前に、使い込んできたものが折れたり曲がったりすることもあり得ます。なので、履き慣れたブレードがそろそろ折れそうだなと感じたら、それを本番用にとっておいて、練習は別の靴を履くなど、選手たちは見えないところで相当苦労しています。

業界に一石を投じた「KOZUKA BLADES」

佐野
そんな背景があって、小塚さんが自らブレードの開発をやろうと?
大島
はい。私はもともとPRプランナーが本業でしたので、小塚のマネージャーだけでなく、KOZUKA BLADESのPRも担当することになっていきました。
佐野
KOZUKA BLADESの製造を担当している「株式会社山一ハガネ」とはどのような関係なんですか?
大島

山一ハガネさんは、金属部品の製造・加工の他、飛行機の機体で使われるような複雑な部品のサイズを計測する機械や技術を持っている会社で、小塚の地元の愛知県名古屋市に本社があります。彼が現役選手の時代に、地元企業で計測技術の高い会社があると紹介を受け、「足も計測できますか?」と本人自ら訪ねたそうです。そうしたら「できますよ」と。

小塚のスケート靴をオーダーメイドするために、足の計測をしてもらったのが出会いのきっかけです。

大島
そこで、小塚がスケート靴の問題点について、山一ハガネの社長さんに話をしていたら、靴の下についているブレードが鋼なら、自分たちでも作れるかもしれないと。一つの鉄の塊から削り出して作ることで、今まで別々に溶接していたブレードとパーツが一つにできるというアイデアを出してくれました。
佐野
靴とブレードの固定の問題がこれで解決できる、と。
大島

はい。これが完成品なのですが、もともと11.5kgある鋼の塊から一気に削り出してブレードを成形し、最終的には671gになります。削る現場も実際に工場でも見せていただいてとても感動しました。

山一ハガネさんは、これまで事業としてスポーツに携わったことはないのですが、社長がぜひやろうと仰ってくださり、トップダウンで小塚との共同開発が決まったのが6年前です。その間に試作したブレードは、小塚自身が実は現役時代にも使用していて、2018年4月に製品として出来上がったものを発表させていただきました。

佐野
6年ですか。よく挫けずにリリースさせましたね。販売についてはどのような形態を取られているのでしょうか?
大島

ホームページから注文できるようにしています。化粧箱のデザインにもこだわっています。KOZUKA BLADESはトップ選手も使用する製品ですから、ブランドを大切にする必要があると考えています。既存のブレードでは、新聞紙に包んで雑に配送されることもあるようです。そのような扱いが当然となっていることにも、一石を投じたいと思っています。

また通常のブレードは左右セットでしか購入できなかったのですが、選手によっては右回りや左回りなどそれぞれの癖や消耗度合いも異なるので、片方ばかり交換するということがよくあります。KOZUKA BLADESは1本単位で購入できるようにしたことも業界の概念を覆しました。

ブランディングの原資は情熱

佐野
大島さんのお話からも、KOZUKA BLADESはデザインを戦略的に取り入れ、ブランドにしていこうという意思を感じます。デザイナーが必要だと思われた最初のきっかけは何だったのですか?
大島
これが初期の企画書です。小塚の友人でもある河野さんという方が元々このプロジェクトの進行管理を担当していて、その河野さんと小塚が一緒に作成したものです。小塚はスケーティング技術が評価されているスケーターで、その小塚の知見と山一ハガネさんの金属加工技術とのコラボ、日本で初めてブレードをつくる意義を、どういった形で世に出していきたいのか、二人のものすごく熱い気持ちがこの企画書に目一杯込められていました。でも、この企画書を見て、すごく熱くて本当のことしか書いてないんですけど、熱すぎてかえって分かりづらい(笑)。見せ方や伝え方が重要だなと思ったんですよ。そこで、思いついたのが伏見さんです。
伏見
この企画書は全部で30ページほどあって、とにかく熱量が高かったです。大島さんからは“ちょっと見て”という軽い感じの相談だったのですが、僕はすごく感動して、これはどうにかしなくてはという思いが湧き上がってきました。入り口に“熱い想い”があるかどうかって、すごく重要ですよね。
佐野

そうですね。僕は、「ブランディングは、外から着せる服ではない」という説明をすることがあります。きれいな服を着せても、中の人、つまりブランドオーナーに大義がないとそれはどこかで挫けてしまうと思います。新しいモノをつくり世の中に認めてもらう活動は簡単ではないから、踏ん張りが効く状態になってないといけないんですね。その踏ん張りとなる原資は何かでいえば、「情熱」なのかな、と。拠り所を市場調査やデータ分析におくと、上手く行かないときの「やめる言い訳」にも使えてしまう。

その点、このKOZUKA BLADESは、「こうしたい」という小塚さんと河野さんの強い想いから出発している。ブランディングプロジェクトとして、非常にいいスタートの切り方をされていると思います。だから6年かかってでも、製品リリースまでこぎつけることができたのかもしれません。

チーム小塚、それぞれの役割とプロジェクトの進め方

佐野
このプロジェクトチームを整理すると、発案者の小塚さん、進行管理の河野さん、地元の山一ハガネさんと、PR担当の大島さん、デザイナーの伏見さん、と5者が中心になって動いていますよね。どこからどこまでが誰の役割とか、会議体やプロジェクトはどう進めていったのですか?
大島
私も伏見さんも、デザイナーとかPRプランナーという役割をそんなに意識せずにやっていましたね。ただ、私たちが勝手に使命感に駆られて、これはきちんと世に出すべきだと思って取り組んでいました。小塚はすごく柔軟でロジカルなタイプで、きちんと説明すると、耳を傾けてくれるんです。伏見さんが、ブランディングの大切さを説明すると、“それはやってもらった方がいいですね”って納得してくれましたね。
伏見
小塚さんは多忙を極めていましたし、山一ハガネさんは愛知県にある。全員が揃う時間がなかったので、僕としては、自分の思考回路を全部文書化して、どういう思いで、どういう構図で考えているのか、こちら側の資料を小塚さんが山一ハガネさんに“これを見ておいてください”って渡すだけも成立するぐらいまでつくり込みました。
大島
ちなみに、最初のネーミングはKOZUKA BLADESじゃなかったんですよ。
佐野
そうなんですか?
大島
山一ハガネさんと小塚はこのプロジェクト以前からのお付き合いがあり、“山一ハガネさんに6年間付き添っていただいたのだから、山一ハガネさんの名前を全面的に出すべき”と小塚の周囲の方々もおっしゃっていたんです。私も、そういう方向性かなと。でも一方で、コンセプトはわかりやすい言葉で形にして多くの人に伝えていきたいというのもありました。そんなときにデザイナーの伏見さんが“これは小塚さんの思いがあってこそできたブレードなので『KOZUKA BLADES』にしませんか”と言ってくれたんです。伏見さんが外側からの視点で客観的な提案をしてくれたことで、みんなも受け入れることができたんだと思います。
佐野
なるほど。確かに、『KOZUKA BLADES』がしっくりと来ると思います。
伏見
名前について意見するのは自分かなって思っていました。『KOZUKA BLADES』というネーミングでロゴをつくり、これしかありませんという状態まで練り込んでデザインを出しました。最初にメンバーにも話をしたんですよ、たぶん僕は水を差すと。熱くなっているけど、僕が水を差すことでちょうど良い湯加減になればいいかなと思っていました。仮に僕がこのメンバーから外れてしまっても、大きくは壊れることはない。だからこそ、冷静かつ思い切った提案ができたのかもしれません。
佐野

これはデザイナーの立場の取り方として参考になりますね。ブランディングにおいて、外側からの視点を注入するのもデザイナーの役割だと思います。煮詰まっているチームに対して、目的を見直す、そういう客観性を与えるところも求められますよね。

どっぷりとその業界、その製品に関わり続けている立場からは、かえって見えなくなっていることもあるし、「内部の人」からは出しづらい意見もある。そういうときにデザイナーは便利です。

後編に続く

編集/それからデザイン ライティング協力/大関勇気


大島 理香(おおしま・りか)

大島 理香(おおしま・りか)
株式会社響組 代表/PRプランナー

神奈川県平塚市生まれ。国立音楽大学音楽学部声楽学科卒業。 大学在学中、同級生と着メロの企画・制作をするベンチャー企業の立ち上げに参画。 モバイルコンテンツサイトを運営する子会社の社長を務め、退任後、上場企業の広報担当に。 情報発信は、手段だけでなく背景やストーリーが重要であることに気づき、幅広いメディアの需要を理解しながらリレーションを構築することで、TV・雑誌等多数の媒体に掲載実績をつくる。 その後、社内報や社内イベントを中心としたインターナルコミュニケーションを企画・実施し、組織活性化やコーポレートブランディングに寄与する広報活動を事業化。 2015年、独立。広報は経営に不可欠な活動という考えのもと、多様な業種のコーポレートやプロダクト広報に携わりアドバイスを行いつつ、昨年からは、フィギュアスケーターで義弟でもある小塚崇彦のマネジメントをスタート。スケート教室・イベント出演・メディア露出等、幅広い活躍をサポートしている。

伏見 貴志(ふしみ・たかし)

伏見 貴志(ふしみ・たかし)
株式会社 FROM DESIGN 代表/デザイナー

山梨県大月市生まれ。20代で得たエンタメ系ウェブサイト等の制作経験を活かし、企業を始めとするブランディングデザインを主な領域として独立。現在は事業の立ち上げ等、初期段階にデザイン“から“できることを重視した活動を行っている。

佐野 彰彦(さの・あきひこ)

佐野 彰彦(さの・あきひこ)
株式会社それからデザイン代表 クリエイティブディレクター/ブランドデザイナー

明治大学理工学部数学科卒。株式会社それからデザイン代表。
企業・事業・商品・サービス等のブランドをつくるデザイナー。ブランド戦略から、デザインワークまでを一貫してプロデュースするコンサルティング型のデザイナーとして活動している。ウェブデザイナーとしてキャリアをスタートさせた後、現在は、ブランドコンセプト、ネーミング、ライティングのコピーワークから、CI/VI、ウェブ、グラフィック等のアートワークまで手掛け、クリエイティブの活動領域は広い。10年間で250以上のウェブサイトを制作してきた経験から、「ブランディングの最重要ツールはウェブサイトである」という考えに至り、ウェブコンテンツの企画メソッド「3S6G法」を考案。ウェブサイトを軸に展開するブランディング手法を「ウェブブランディング」と名付け、この分野のパイオニアとして、全国の経営者からオファーが多数寄せられている。

主な著書に「経営者のためのウェブブランディングの教科書」「ウェブ担当者1年目の教科書」(共に幻冬舎)がある。 2015、2016年グッドデザイン賞受賞。


次回の“besign” talk meeting(ビザイントークミーティング)

第7回 Webデザイナーはどこへ行く? #バックナンバー(過去のイベントレポート)はこちら
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“besign” talk meeting (ビザイントークミーティング)とは?

ビジネスとデザインの関わりを学ぶトークイベント。 “besign”とは、businessの「b」、design の「d」を入れ替えて作った造語です。隔月交互に経営者とクリエイターをゲストスピーカーとして招き、「ビジネスとデザインのあいだ」にスポットを当て、参加者と共に語り合っていきます。 「ビジネスとデザインの溝が埋まると、きっと社会はもっと面白くなる」 その仮説と各ゲストの視点を元に、デザインの可能性を探っていく場です。

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